もとは足袋や素足の文化だった日本に、靴下が普及しはじめたのは明治時代。
文明開化とともに洋装が一般化し、革靴に合わせて履かれるようになった。
そうした需要を受け、明治後期より靴下の生産が盛んになったのが奈良県広陵町である。
江戸時代より綿花と木綿の産地だった広陵町は、
その背景を活かして海外より靴下用の手回し編み機を導入。
大正時代には自動編み立て機も導入され、米作農家が農閑期に行う副業として広まった。
戦後の最盛期には、地元の組合に200軒以上の靴下工場が加盟していたという。
現在でも国内で生産される約6億本の靴下のなかで、
日本有数の靴下の産地である奈良県広陵町はシェア約4割と日本一を誇っている。
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